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黒川伊保子さん【息子のトリセツ】を読んで。息子のブロックを放置したら、驚きの結果に

我が家には5歳の息子と2歳の娘がいます。

 

男の子と女の子の育て方は違う、とよく言われますが、正直「ものすごく違う」というわけではないように感じます。

ねんね時期も、ハイハイもたっちも、それぞれ個性はあるものの、だいたい同じように接してきました。

 

ただ、ものすごく違うわけではないけれど。

ちょっと、違う。

 

そしてその「ちょっと」の部分が、わりと繊細でときどき「えっ!?」と思ってしまうことも。

 

そんなわたし、黒川伊保子さん著「息子のトリセツ」を読み、面白くてドハマリしました。

 

本の帯に【母も惚れるいい男。手に入ります。】とある、話題のこの本をご紹介したいと思います。

息子のトリセツ

 

著者の黒川伊保子さんは、脳科学者で人口知能(AI)の研究者。

その研究成果をもとに、「妻のトリセツ」「夫のトリセツ」「娘のトリセツ」「恋愛脳」などのベストセラーを出しています。

 

「息子のトリセツ」は発行日が2020年11月1日、扶桑社新書から発行されています。

 

脳科学からのアプローチ

 

「脳科学」というと、なんだかとっつきにくいような気がします。

特にこの本は新書なので、文庫になれているわたしとしては、さらに敷居が高い感じ。

 

でもパラリと開いてみると、文体が「息子を持つお母さん(=黒川さん)」視線になっていて、堅苦しくありません。

時折、「~とかね。」なんてくだけた語尾が出てきたりして。

 

ぼんやりしちゃう。

散らかしっぱなし。

 

そんな男の子にありがちな特徴を、脳科学の上から理由づけしてくれるので、「このまま育っていいの?」「わたしの注意が足りない?」なんて不安になっているのだとしたら、なんだかホッと安心させてくれます。

 

ベースになっているのが黒川さん親子のエピソードなので、もちろん自分のこどもにまるごと当てはまるわけではありません。

それでも、「あ、ちょっと分かるかも!」という指摘が随所にあって、ワクワクしました。

 

中でも、脳は臓器だから、搭載されたスペックが性別で変わるわけじゃないけれど、「とっさに使う神経信号モデル」の選択が違うのだ、という文章にハッとしました。

 

太古の昔、危機が迫ったときに求められた「家族」の役割。

それは、遠くを見据えて敵を注視する能力と、近くで眠る子どもの命を守る能力

それぞれがうまく機能してこそ、家族が成り立つ。

 

確かになあ、と感じます。

 

地震がおきると、わたしは無意識にこどもに手を伸ばします。

夫はふっと天井を見上げていることが多いのですが、これってきっとやはり無意識に地震の規模やら危険物の存在やらを確認しているってことですよね。

 

息子や娘が夜泣きをしていたころ、最初の「ふぇーん」の第一声でこどものそばに行っていたわたしに対し、夫が朝起きてきて「泣き声に気づくと、もう君が抱っこしてるんだよなあ・・・」とよく言っていました。

当時は、内心「起きなかった言い訳ですかい?親の自覚が足らん!」と思っていたのですが、あれはわたしの脳の神経信号モデルの選択だったんですね。

ディスってごめんね、夫さん。

 

幼少期から思春期、青年期

 

本書では、「男性脳」(性別ではなく、先ほど紹介したとっさのときに遠くを見据えるような選択をするような、客観優先の脳)を持つ子の幼少期から思春期、青年期まで紹介しています。

 

それがまた、なんとも言えず「お母さん」な視線でイイ感じ。

 

黒川さんがメロッメロに息子くんが大好きで、息子くんがメロッメロにお母さん(=黒川さん)が大好きなのがよく分かる。

 

母も惚れるいい男。

たしかに、子育ての最終地点としてそこを目指すのは、ひとつの道ですよね。

 

もっとも、0歳時点で母はこどもにメロッメロですから、「いい男」に育っているかどうか自分でジャッジするのは、難しそうだな(笑)。

そして、そんな親子関係のところにお嫁さんとして入ってくるのも、ちょっと勇気がいりそうだな・・・。

 

いずれにしても、【自分のことより電車や車といった「外界」に興味を持ち、自分の命を母に丸投げしている幼少期】、という指摘には、深く納得しました。

これからもことあるごとに、「いのちまるなげ」というインパクトある単語を思い出すことでしょう。

 

こどもと、わたしの変化

 

お絵描きをしていた息子と娘が、ブロック遊びをしたいと言い出したとき、わたしは「じゃあクレヨンと紙を片付けてからにしてね」と言っていました。

こんなとき、息子と娘の「ちょっとした違い」が出てきます。

 

娘は、「ぁい!」と言ってポイッと片付けるか、もしくは「ヤダ」と言ってブロックに近づくかのどちらか。

息子は、「え?でもまだ、これとちゅうなんだよぅ・・・」と言って、出しっぱなしのままブロックを始めるのです。

 

それまでのわたしは、ふたりどちらにも「新しいものを出すなら、終わったものは片付けて!」と同じ注意をしていました。

どちらにも、同じやり方がよいと思っていたからです。

 

でも、この本を読んで改めて二人の反応を考えると、明らかに違っているのが良く分かります。

 

娘の反応は、お絵描き→完了、ブロック→開始。

だから「ぁい!」も「ヤダ」も、片付けに対する自分の意思です。

 

息子の反応は、お絵描き→未完了、ブロック→開始。

未完了のものをどうして片付けるの?という考えです。

 

うわ・・・全然違うんだ。

そんな驚きと発見が、生活の随所に隠れていました。

 

正直、男性だから女性だから、という言い方はあまり好きではありません。

あえて言うなら、ふたりのこどもの持ち味が、こうも違うんだな、と感じました。

 

3歳の頃、息子が欲しがったブロックがあります。

 

ブロックラボから出ている、アンパンマンのくるくるブロック

歯車ブロックを組み合わせることで、手動で動く観覧車などを作ることができます。

 

でも、結構むずかしくて今まで息子は「歯車」を使って遊ぶことはしませんでした。

ブロックを重ねたり、人形で遊んだりするだけ。

親としても、まあそんなもんだよな、と思っていました。

 

この間、夜ブロックで遊んでいた息子に、「寝る前にブロック片付けてね」と言ったら、「まだとちゅうなんだよぅ」という例の言葉が返ってきました。

 

今までなら、「でも寝る時間だから、終わりにして」と片付けさせていたわたし。

ふと思い立って、「じゃあ続きは明日にしたら?」と言って、そのまま置いておくことを許可しました。

 

次の日、保育園に行く前にカタカタ触っていた息子、「ほいくえんからかえってきてから、つづきやりたいんだけど・・・」というので、そのまま放置。

 

帰宅後、夕食を食べるとブロックを触り始め、寝る間際になって叫びました。

「ゆうえんち、できたー!」

 

見ると、パッケージにも載っていない、息子考案の動くメリーゴーランドが完成しているではありませんか!

アンパンマン くるくるブロック 息子のトリセツ

 

おったまげです。

夕方までは、残骸のようだったブロックが、いつの間にか歯車を利用して動くようになっています。

 

なんという変化!

 

「すごい!これ、自分で考えたの?」

 

そう聞くと、目をキラキラさせて息子が答えます。

 

「うん!まだ、かえたいからこのままでいい?」

 

もちろん、壊せと言えるはずがありません。

 

その後も、息子はお絵描きやどうぶつの森や絵本や鬼滅ごっこを楽しみつつ、ふと思い出したように(わたしにはそう見える)、ブロックを改造・改良していく日々です。

(途中、掃除機をぶつけてしまいバラバラになりましたが・・・)

 

本書にあるように、男性脳にとって「片付け=良いこと」だけではないことを、体感しました。

 

むすび

 

あまりネタバレのないように、と思いつつ書いています。

好みにもよりますが、ハマるとグイグイ読み進めてしまう本なので、新しい発見にわくわくする醍醐味を邪魔したくないなと願っています。

それでも、もし不快になるような感想になっていましたら、申し訳ありません。

 

育児書は、現在ほとんど読んでいません。

ひとり目が新生児だったころ、妊娠中に買った育児書と実際の赤ちゃんのあまりの違いに追い詰められた経験があるからです。

 

「息子のトリセツ」は、育児書なのか、ちょっと一味違うのか・・・読む人にとって感じ方は様々かもしれませんが、わたしにとっては【違う価値観】との出会いでした。

 

とっさのときに選ぶ方法。

それが、こんなにも違う視点を生み出すとは、目からウロコです。

 

片付けひとつをとってみても、わたしが持っていた「片付けるべき」という視線は、実は固定概念でしかなかったのだと、反省。

片付けない理由をちゃんと紐解けば、息子が作った遊園地のように、驚くようなことが起きるんですね。

 

息子と娘、毎日新鮮な発見をありがとう。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

この記事が、何かのお役に立てば幸いです。

 

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