こどもが好きなことは、親としても「うわー!すごいね!」と一緒になって大好きでいてあげたい。
でも実は苦手ということはありませんか?
わたしはあります。
それは、「虫」。
モジャモジャもツルツルも、バタバタもピョンピョンも、大きいのも小さいのも、硬いのも柔らかいのも、どれも好みではありません。
正直、嫌です。
想像しながら書いているだけで、背筋がゾワゾワします。
でもこどもは虫が大好き。
虫が好きな息子に合わせられない自分は、冷たいの?
虫が好きな息子がかわいそう?
何となくそんなふうに自分を責めている方は、わたしだけではないと思います。
ゆっくりと時間をかけて、こどもの虫好きに向かい合いながらなんとなく見えてきたのは、決して自分が冷たい親でもなく、こどもがかわいそうでもない、という結論です。
虫だけではなく、食べ物やアイドル、本や音楽など。
こどもの嗜好と合わないことで同じように悩んでいらっしゃる方はたくさんいらっしゃることでしょう。
そんな優しいパパママに、ありったけの共感をこめて記事を書いていきたいと思います。
虫をムシできない
虫の好き嫌いは個人的なこと。
別にわたしが虫に近づかなければよいだけの話です。
こどもを産むまで、「虫が嫌い」ということで悩むことはありませんでした。
しかし、こどもが生まれてから、わたしの周りの虫事情は一変しました。
息子は2歳を過ぎるころから徐々に虫に興味を持ち始め、4歳になった今年、その虫好きが開花。
「旬のもの」といえば今までは野菜のことだったのに、今では春はオオクロアリ、夏はカブトムシやセミ、秋はコオロギ・・・と、旬の虫に息子が目をキラキラさせます。
とくに夏は口を開くとカブトムシの話しか出てこない、という状態になるほど。
そして、息子ばかりではありません。
ママ友からも、「かぶとむしの幼虫がたくさんいるんだけど、欲しい?」なんて、まるでスーパーの特売情報を教えてくれるノリで聞かれたりするのです。
何気なくのぞいたスマホの画面に、真っ白な幼虫が映し出されていたりするのです。
もう、虫をムシできません。
こどもの好き=親の好き?
夏の終わり、道に力なく止まっているセミをひょいっと持ち上げて、「はいどーぞ!!」と満面の笑みでこちらを振り返る息子。
その無邪気さに、わたしは悩みました。
息子がこんなにも好きだと言っているのに、確たる理由もなく嫌いって言うのは教育によくないんじゃないか。
息子がこんなにも好きだと言っているのに、わたしが嫌っていたら悲しい思いをするんじゃないか。
わたしがおずおずと手を出した瞬間、最期の力を振り絞ってジイイイイイイイとけたたましく鳴くセミ。
いやあっ、無理です、無理っ!!
歩道から飛びのいたとたん、今度は車からのクラクション。
あやうく、セミよりも前にわたしが昇天するところでした。
ママ友に聞くと、もともとは虫嫌いだったけれど、こどもの興味に付き合っているうちに大丈夫になった方というのは結構多いようです。
うむ、世の中のかーちゃんってほんとエライな!
感心はするものの、いざ自分で克服しようとすると、まあ大変です。
「わあ、セミ捕まえたの、すごいねえ」なんて顔では笑って対応していても、「持ってて!」と言われたら反射的にのけぞってしまいます。
虫を題材にした絵本もたくさん読みました。
今はかわいらしいものがたくさん出ているので、息子と一緒に読みつつ、ちょっとした虫博士にもなりました。
でもあくまで絵本。
ファンタジーなだんごむしは、現実の世の中にはいないのです。
そんなヒイヒイした日を過ごしていたある日、ふと思いました。
教育によくないのは、嫌いなものを嫌いと言うこと?
それとも嫌いなのに好きだというフリをすること?
悲しい思いをさせるのは、自分が好きなものをママが嫌いだから?
それとも好きなものを認めてあげないから?
否定せずに認めること
少し前の話になりますが、息子のトイレトレーニングの時に、息子が「トイレ嫌いっ!」と泣いたことがありました。
しばらくは「そんなことないよ、トイレは怖い所じゃないよ」と、軽く内容をすり替えながらなだめていましたが、ある時こう言ってみたのです。
「ママも本当はこどものころ、トイレ大っ嫌いだったよ。
トイレって、せまいしつまんないし」
息子がじっとわたしの顔をみました。
「でもさあ、ずっとトイレに行かないと漏れちゃうじゃん?
ずっと漏れずにいられたらいいのにねえ」
続けてそう言ったら、息子が安心したように笑い、笑ったままトイレに入っていったのを今でも覚えています。
その後、
「ママも嫌いなんだよねー?」
と言いながらトイレに行くこともありました。
嫌いだって言ってるのに、なんで「そうじゃない」って言うの?
嫌いだって言ってるのに、なんで分かってくれないの?
のらりくらりと、おとながなだめていた言葉に、きっと息子は傷ついていたのかもしれません。
だから、嫌いでもいいと言われて、安心したのだと思います。
そう、嫌いなものは仕方ないんです。
トイレや注射や早起きや・・・
そのほか、世の中にはたくさんの嫌なことがあります。
それが体にいいとか悪いとか、そういうのはおかまいなしに、人は本能で嫌いになることがあるんですよね。
だから、嫌いになること自体が悪いわけじゃない。
もちろん好きになることの方が、柔軟性があっていいのかもしれない。
でも、世の中のすべてを好きになるなんて不可能です(大げさか)。
では、なにが悪いのか。
わたしは、「それが嫌いな人もいるし、好きな人もいる」ということを認めないことなのだと思います。
虫が嫌いだけど、好きなフリをしているとき、わたしは心のどこかで思っていました。
「なんでまた虫を捕まえてくるのよ!」と。
つまり、息子の行動を否定していたのです。
息子は虫が好き。とてもよいこと。
わたしは虫が苦手。それもありだよね。
そう割り切って接するようになったところ、かなり心労が減りました。
たとえばセミを「持っていて」と言われても、わたしは手を出しません。
「うわー、大きいの捕まえたね。すごいねえ! ママは怖くて掴めないから、持って帰るのはやめようね!」
こう、正直に言うことに決めました。
すると息子もやがて、虫の話はわたしではなくパパとするようになりました。
時々、わたしには「ママ、カブトムシは怖い? アリは?」と聞いてくれます。
「カブトムシはちょっと怖い。アリは平気だよ」
そんな会話の後は、特に無理強いもしません。
こどもの興味に付き合う方法はいくつもあって、これが正解というものはないのかもしれません。
しかし、わたしの「虫対応」は、これ以降とても楽になりました。
もし「本当は虫嫌い」という事実をカミングアウトせずに苦しんでいる方がいたら、いっそ正直に話してしまうのも、いい解決になります。
ただし、虫を好きなこどもの気持ちは尊重してあげてくださいね。
親になる
ちなみに先日、レタスの中からこんな子がコンニチハ!をしました。
以前のわたしなら、すぐに捨てたはず。
でも、息子が喜ぶだろうなと思うと捨てるに捨てられず、お皿の中に入れておきました。
案の定、保育園から帰ってきた息子が見つけて大騒ぎ。
さんざん観察して翌朝、通園途中の草の上にのせてお別れをしました。
わたしも親になれてきたのかな、なんて思ったりして・・・
これからも少しずつ、少しずつ、こんなふうにこどもの興味に歩み寄れたらいいなあと思っています。
むすび
息子と一緒に、たくさんの虫に関するイベントにも参加します。
だからといって、「虫大好き!」とはならないけれど。
ただ、一緒に展示を見たり、情報を調べたりすることで、十分「息子の好き」に寄り添えていると思っています。
息子もまた、虫好きであることに自信を持ち始め、保育園では「虫の疑問は息子に聞く」という図式ができているようでビックリです。
この先、きっとわたしの知らないアイドルを好きになることもあるのでしょう。
わたしが触ったことのないデジタル機器を使いこなすこともあるはずです。
そんなとき、苦手だと感じたとしても、決して否定せずに見つめてあげられたら、きっと息子の興味の翼は折れません。
そしてわたしの世界もまた、ひろがっていくのだと感じました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
この記事が、何かのお役に立てば幸いです。
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