大ヒットしている「パプリカ」。
特にこどもたちの間で大人気で、うちの4歳の息子も、しょっちゅう踊りながら歌っています。
この曲は、NHKの2020応援ソング。
そのため、Eテレのキャラクターたちがこぞってパプリカを歌っているのも、息子にとっては嬉しいようです。
お正月に、この各番組ごとの「パプリカ」が、29分間連続放送されました。
もちろん録画スタンバイし、リアルタイムでもしっかり視聴。
何度も何度も流れる歌にあわせて踊る息子を「体力あるなあ・・・」なんてぼんやり見ていたのですが、そのうちにあることが気になってきました。
最後に必ず流れるキャッチコピー「あしたにたねをまこう!」です。
あした【に】?
これって、なんで【に】を使っているんだろう?
しっくりくるのは【の】
「あしたにたねをまこう!」
聞き慣れてしまったので、あまり気になりませんが、よく考えると「あしたにたねをまく」という日本語は、なんだか不思議な感じがします。
「~に、種をまく」という文章であれば、通常「~」の部分には場所がきますよね。
「畑に種をまく」などです。
「あした」と「たね」をつなぐ助詞として、しっくりくるのは「あした【の】たね」ではないでしょうか。
明日(=未来)のたねをまく。
明るい未来のためのたね、という意味に取れて分かりやすいです。
【は】でも【も】でも、いっそなくてもいい
「あした【は】たねをまこう!」なら、「あしたこそ、たねをまこう!」という意味でとらえやすいですね。
前向きな意味にはなりませんが・・・。
「あした【も】たねをまこう!」なら、今日も明日もがんばっている姿を感じます。
いっそ、「あした たねをまこう!」でも成立します。
これはこれで、力強い決意のようなものを感じますよね。
【に】を使うことで広がるもの
でも、NHKで連呼されているのは「あした【に】たねをまこう!」なのです。
そして、なぜだか「あした【の】たねをまこう」よりも「明日 たねをまこう」よりも、「あした【に】たねをまこう」の方が広がりを感じるのです。
【に】の持つ【場所】を受け止める力によって、無意識に、「あした」を時間軸ではなく、場所の概念としてとらえてしまうのかもしれません。
「あした」が場所であるなら、「あした=目指す未来の場所」です。
そしてそれは、自分一人ではなくみんなが進んでいく場所なのです。
「あしたのたね」は、未来のたねだけれど、「自分の未来のたね」です。
「あしたはたねをまこう」も「あした たねをまこう」も、主人公は自分。
「わたしがやる」という【自分の行動】です。
それに対して、「あしたにたねをまこう」の主人公は、自分も含めたそこにいる全員。
みんなの目指すあした(という場所)に、みんなでたねをまいていこう!というニュアンス、つまり【そこにいるすべてのひとの行動】のように感じます。
ひとりひとりの持つ、未来。
ひとりひとりの持つ、たね。
無限に広がるあしたと、無数の輝くたねが見えてきます。
「あしたにたねをまこう!」には、みんなでやろう! みんなで咲かせよう! そんな思いがつまっているんですね。
むすび
踊りまくる4歳児と、踊っているつもりの1歳児の横で、ぼんやりとそんなことを考えていたら、思わず胸がじーんとしてしまいました。
ほんのわずかなフレーズの中に、あふれるほどのメッセージが込められているんですね。
俳句などもそうですが、短い文章ほど人の心を打つものです。
文章が長くなりがちなわたし。
もっとしっかり「言葉」を学ばなければなりません。
「あしたにたねをまこう!」
とてもいいキャッチコピーだと、改めて思いました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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